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広島高等裁判所 昭和55年(う)32号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は弁護人藤堂真二、同原田香留夫、同二国則昭、同阿波弘夫連名、弁護人阿波弘夫、同藤堂真二、被告人(二通)作成の各控訴趣意書及び弁護人阿波弘夫作成の「控訴の趣意」と題する書面記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官立山正秋作成の答弁書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

第一  弁護人阿波弘夫の控訴趣意書第一、弁護人藤堂真二の控訴趣意第一(理由不備の主張)について

所論は、「原判決は、被告人が昭和五一年九月二七日午後四時四五分ころから同日午後九時過ぎころまでの間に山洋工業株式会社呉支店事務所から原判示の各場所を経て原判示の当時の被告人方に至るまでの間及びその周辺地域において、同会社のため業務上預り保管中の従業員の給料合計六九二万八一六円をほしいままに着服横領した旨の事実を判示した。しかし、着服横領したと認定するからには、横領の意思の発現である外部行為を具体的に、日時、場所を特定して判示しなければならないところ、原判決には着服の外部的行為が具体的に判示されておらず、着服行為のなされた日時、場所も具体的に特定されていないから、理由不備の違法がある。」というのである。

原判決が本件業務上横領の事実を判示するに当り、所論指摘のとおり犯行の時刻、場所について相当幅のある認定をしたうえ、着服横領に該ると判示していることは判文に照らし明らかであるが、本件記録によれば、本件は、被告人が原判示会社の作業主任として、夜勤従業員の給料合計六九二万八一六円を業務上預り保管中、右会社から被告人方に帰宅する間に紛失したとして、即日呉警察署に盗難被害の申告をし、以後、捜査段階及び原審公判を通じ一貫して自己の業務上横領の犯行を否認している特異な事案であるところ、原判決が着服横領したと判示した趣旨は、隠匿横領したとの趣旨に理解すべきであり、また、右にのべたような本件の特異性を考慮すると、着服ないし隠匿の横領行為の日時、場所、方法の判示が原判示の程度の概括的な認定になっても、これをもって刑事訴訟法三七八条四号にいう理由不備にあたるとはいえない(なお、所論の引用する大阪高等裁判所昭和二四年一二月一九日判決、高等裁判所刑事判決特報三号六九頁、東京高等裁判所昭和三三年七月八日判決、高等裁判所刑事裁判特報五巻八号三一七頁は本件と事案を異にし、本件に適切ではない。)から論旨は理由がない(なお、阿波弁護人のその余の控訴趣意、藤堂弁護人ほか三名の控訴趣意中にも理由の不備、そごをいう部分があるが、右は結局、後記第三において判断を示すところの事実誤認の主張に帰着するものである。)。

第二  弁護人藤堂真二ほか三名連名の控訴趣意第二(公訴棄却、訴訟手続の法令違反の主張)について

所論は、「警察当局は、本件についての証拠を収集する目的のみで、別件のモーターボート競走法違反被疑事件について請求、発布された捜索差押許可状によって被告人方を捜索し、その際、右の許可状は被告人の所持品検査を許していないのに、強制的にこれを行い、被告人の着衣の下の普通預金通帳三冊、現金二一万円などの証拠物を押収した。本件公訴提起は、右の違法な捜査に基づくものであるから、公訴権を濫用したものとして公訴棄却されるべきである。また、右の違法な押収による証拠物は、右の押収手続に令状主義の精神を没却するような重大な違法があり、これを証拠として許容することが将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないから、その証拠能力は否定されるべきで、右の証拠能力を認めた原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある。」というのである。

よって、検討すると、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(1)  昭和五一年八月末ころから山洋工業の下請け山野工業の作業員大倉重光らが中心となって山洋工業の従業員など約五〇名を相手方として競艇レースののみ行為をしていたことが発覚し、大倉らが逮捕、起訴されたが、被告人も右ののみ行為の相手方となっていたことが右捜査の過程で遅くも同年九月五日ころまでに警察当局に判明していたが、本件の給料紛失事件が発生するまで被告人の取調べはなされていなかったこと、

(2)  被告人は、同年九月二七日に本件給料紛失事故を呉警察署に申告した後、被告人が右給料を横領したのではないかとの疑いをいだいていた同署警察官城戸司より、被害状況と併せて被告人の借金、預金等について取調べを受けていたが、同月三〇日ころ同警察官に対し二〇〇万円くらいの手持金があるから明日でも持参する旨供述したところ、同警察官に自分の目で直接確認したいから持参するには及ばないといわれて拒否されたこと、

(3)  呉警察署司法警察員警部岡谷義昭は、同年一〇月一一日広島地方裁判所呉支部裁判官に対し、被告人を被疑者とする「昭和五〇年九月二三日施行の丸亀市競艇事業局主催の競艇第七レースの競走に関し大倉重光がいわゆるのみ行為をして利益を図った際、その情を知りながら勝舟を予想指定して舟券代相当金額一〇〇円を一口とした金銭一、〇〇〇円を提供して申込み、もって勝舟投票類似行為の相手方となった。」との趣旨のモーターボート競走法違反の被疑事件について、捜索すべき場所を「呉市寺本町一六―二〇山平アパート山田春夫方居室」、差押えるべき物を「本件を立証するメモ、ノート類、日記帳、通信文、預金通帳、スポーツ新聞」とする捜索差押許可状を請求し、同日同趣旨の許可状の発布を得たうえ、翌一二日同警察署員七名が右令状に基づいて被告人方に赴き捜索を行ったこと、

ところで、問題のモーターボート競走法違反被疑事件は、被告人に対する被疑事実の内容、被告人の関与の態様、程度、当時の捜査状況からみて、多数関係者のうち特に被告人方だけを捜索する必要性が果してあったものかどうか、記録を検討してみてもすこぶる疑問であるばかりでなく、後に認定するように、右捜索に際し、被告人が預金通帳三冊を所持しているのを発見したが、これが右被疑事件を立証する物とは認めなかった(したがって前記捜索差押調書の捜索差押の経過欄には、「室内を捜索したが、目的物を発見するに至らなかった。」旨記載されている。)のに、これをその場で被告人より提出させて領置していること、被告人は右被疑事件について逮捕、勾留されたが起訴されなかったことなどを併せ考えると、右被告人方の捜索は警察当局において、本件業務上横領事件の証拠を発見するため、ことさら被告人方を捜索する必要性に乏しい別件の軽微なモーターボート競走法違反事件を利用して、捜索差押令状を得て右捜索をしたもので、違法の疑いが強いといわざるを得ず、この点に関する原判決の判断には左袒することはできない。

次に所論指摘の本件証拠物(預金通帳三冊、印鑑一ケ、現金二一万円、以下預金通帳等という。)の押収の経緯について検討すると、この点に関する原審証人渡辺一二の供述と、被告人の原審公判廷における供述との間にくいちがいがみられるが、前記関係証拠を総合すると、右捜索に際し、被告人が背広、ズボン姿で幼児を長時間抱えているのに不審を抱いた警察官渡辺一二が被告人に対し、持ち物の提示を求めたこと、その際同警察官は被告人の着衣、シャツの上から手で被告人の体に触れて所持品の有無を確かめたことはあったが、着衣、シャツの内側に無理に手を差し入れるなど強制にわたる行為はなかったこと、被告人は同警察官から所持品を確認され、渋々右預金通帳等を自ら提出し、領置されたことが認められ、右認定に反する被告人の原審公判廷における供述は措信することはできず、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。右の事実に、捜索差押令状に基づく捜索の場に被疑者が居合わせた場合、差押えるべき物を被疑者が所持している疑いがある以上、限度を超えない限り被疑者の所持品検査を行うことができることを考慮すると、本件捜索が前記認定のとおり違法の疑いが強く、右預金通帳等の押収が右捜索の際に行われたものであることを考慮しても、右押収は、叙上認定のような経緯で任意に提出されたものを領置したものであるから、その押収手続に令状主義の精神を没却するような重大な違法があるとまではいえず、その証拠能力を否定すべきものではなく、もとより本件の公訴提起が公訴権を濫用したものとして公訴を棄却すべきものとはいえない。論旨は理由がない。

第三  弁護人藤堂真二ほか三名の控訴趣意第一、弁護人阿波弘夫の控訴趣意書第二、第三及び「控訴の趣意」と題する書面、弁護人藤堂真二の控訴趣意第二、第三、被告人の控訴趣意(事実誤認の主張)について

一  所論は、「被告人は、原判示の給料六九二万八一六円を横領しておらず、無罪であるのに、右の事実を認定し有罪とした原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。」というのである。

二  ところで本件は、被告人が前記のとおり業務上保管中の多額の金員を紛失したものとして捜査段階、原審及び当審を通じて右金員の横領の事実を一貫して否認している事案であって、記録を検討しても右横領を立証する直接証拠は存しない。しかしながら、被告人は後に認定するとおり、本件発生後、被告人が本件業務上横領の被疑者として逮捕された同年一〇月一二日までの間に、現金三五三万円(内三〇三万円はその間に架空人名義で銀行に預金している。)を所持していた事実が認められるから、もし、右金員が被告人の業務上保管にかかる六九二万八一六円の一部であるとすれば、被告人の右横領を証明すべき決定的な証拠というべきであるが、記録を検討しても、この点についてもこれを立証する直接証拠は存在しない。そこで以下原判決が挙示する情況証拠について慎重に検討を加える。

三  まず、本件の発生に至る経緯及びその後の被告人の逮捕に至るまでの行動などについて検討すると、関係証拠によれば、次の事実が認められる。

(1)  被告人は、昭和四六年四月二七日日新製鋼株式会社呉製鉄所内所在の山洋工業株式会社呉支店に入社し、以後原判示のように順次昇進し、昭和四九年一〇月一日本事務所作業担当、同五〇年一〇月一日作業主任となったが、同四九年一〇月一日以降は現場作業の総括責任者としての業務の外、同支店から夜勤者の給料を預り、自宅に持ち帰って保管し、翌朝これを持参して出勤、支給する仕事を同支店業務主任青木富重とほぼ一か月交代で続けていたこと、

(2)  被告人は、同五一年九月二七日午後同支店の現場従業員一一四名くらいの各人別給料の入った給料袋在中のみかん箱を持って作業現場に行き、給料の支払いをした後、同日午後四時ころ同支店事務所に帰り、同日の夜勤者五七名分が入った給料袋(合計六九二万八一六円)をみかん箱から黒色ビニール製手提鞄に入れ替え、右の鞄を被告人の事務机の左隣にある同日欠勤していた社員の事務机の上に置いたが、間もなく自席を離れ、同事務所内の応接ソファーで同支店長北川雅博と仕事の打合せをしているうち定時退社時刻(午後四時三〇分)となり、被告人と北川を除く同事務所内にいた同社々員八名は原判示のとおり次々に退出したが、女子事務員三名が退出した同日午後四時三五分ころには前記の手提鞄は依然右の事務机のうえにあり、その後北川も同事務所から退出し、被告人ひとりとなったが、被告人が退出するまでの間同事務所内に入ってきた者はいなかったこと、

(3)  被告人は、北川が退出後間もなく同事務所の部屋を出て、その扉に鍵をかけ、同事務所(二階の一室)のある建物横の駐車場に駐車していた普通貨物自動車(マツダグランドファミリア)を運転して出発し、日新製鋼株式会社呉製鉄所北門を出た後、淀川製鋼南側角で、当時通勤に被告人運転の右自動車を利用していた北川を助手席に、佐々木工業株式会社々員河本孝志、同近藤俊郎を後部座席に同乗させ、原判示のような径路を通り、その途中、北川、河本、近藤をそれぞれ下車させ、同日午後五時二〇分過ぎころ呉市寺本町所在の当時の被告人方西側駐車場に着き、下車して直ちに自宅に入ったが、自宅に入った際前記の手提鞄を持っておらず、また、同乗者である北川、河本、近藤の三名とも前記の自動車内で手提鞄の存在に気付かなかったこと、

(4)  被告人は、帰宅後娘と遊んだりした後夕食を食べ、食後はラジオを聞いたりテレビドラマを見たりしていたが、同日午後九時過ぎころ布団を敷いている妻に対し「給料を家に持って入らなかったか。」と尋ねたところ、妻が「見ていない。」と答えたことから、直ちに前記駐車場内に駐車中の自動車内を探したが、手提鞄を発見できず、妻から「会社から本当に持って帰ったんね。」と念を押されて、同日午後九時一〇分ころ前記自動車を運転して前記山洋工業事務所に行くといって出かけ、同日午後九時五〇分ころ帰宅して妻に対し、手提鞄が事務所になかった旨を話したうえ、妻のすすめで前記自動車を運転して同市本通り六丁目所在の北川支店長宅に行き、同人に給料紛失の事実を告げて、同人と共に一旦被告人方に戻った後、前記事務所に行き、共に探したが前記手提鞄を発見できず、同日午後一一時ころ北川と同行して呉警察署に出頭し、「同日午後五時二〇分ころから同日午後九時一〇分ころまでの間に前記被告人方車庫で自動車運転席の床に置き忘れた給料約八〇〇万円入りの黒色ビニール製手提鞄を盗まれた。」旨の盗難被害の申告をし、その後呉警察署員から事情の聴取を受け、翌二八日午前五時ころ帰宅したこと、

(5)  被告人は、右帰宅後北川に電話で右の経緯を報告したところ、同人から午前八時までにかならず出勤するように指示されたのに、同日午前九時ころ自宅を出たまま出社せず、無断欠勤し、所在不明となり、同日午後七時過ぎころ漸く呉警察署に出頭したこと、

(6)  被告人は、同年一〇月五日現金五万円、同月一一日現金一五万円を妻に手渡したほか、同月六日福岡市に行き、十八銀行東福岡支店に五一万円、長崎相互銀行博多支店に五二万円をいずれも偽名の山村一郎名義で預金し、同月八日には北九州市に行き、山口銀行北九州支店に二〇〇万円を前同様山村一郎名義で預金し、右預金通帳は同月一二日朝、被告人方を捜索中の呉警察署員に対し、背広上衣の内ポケット内にあった現金二二万円(内二一万円領置)と共に任意提出したこと、被告人の妻A子は、その後自宅のベットの上に置いていた被告人の腹巻内に現金八万円が入っているのを発見し、同月二四日前記一五万円と共に同警察署員に任意提出したこと、

(7)  被告人は同年一〇月一二日右紛失金の業務上横領の被疑者として呉警察署員に逮捕されたこと、

四  以上の事実関係からすると、被告人は、本件発生後逮捕に至るまでの間に少くとも合計三五三万円の現金を持っていたことが明らかであり、右の手持金の全部又は大部分が前記の紛失したという給料の一部ではないかとの疑問が生ずるが前記のとおり、これを証明する直接証拠は存しないので、右の手持金の出所についての被告人の弁解について以下検討することとする。

(一)  被告人は、逮捕当日の昭和五一年一〇月一二日付及びその翌日の同月一三日付司法警察員に対する供述調書中では、「右の手持金は、被告人の月給やボーナスの使い残りを貯めたものである。」旨供述していたが、同月二六日付司法警察員に対する供述調書では従来の供述を変更して、「私が山洋工業に入ったのは、親会社にあたる佐々木工業会長佐々木円三の甥、新田一春の紹介によるものである。新田は、山洋工業から暴力団関係者長田稔の勢力を追放するという任務があり、そのため軍資金的な金が必要で、会社の表面的な金とは別に裏資金即ちポケットマネーとして佐々木会長から出されており、私の想像では昭和四六年九月ころから同四七年六月ころ新田が死亡するまでの間五、六回にわたり合計六〇〇万円くらい出ている。私は、現場の押えとして新田の任務を助ける立場にあったので、会長から新田へ金が渡った都度、そのうちいくらかが新田から私に手渡されており、これは合計二〇〇万円くらいになると思う。私に手渡された金の意味は、私に自由に使えということだが、ほとんど使わず、私方の洋服ダンスのなかの紙箱へ入れていた。私が山洋工業に入るまでに五〇万円くらいの現金持合せがあったから、これに新田からの現金を合せると二五〇万円くらいの手持金があったことになる。私は今年五月、呉信用金庫本店から現金一七〇万円を借りたが、そのうち四、五〇万円と先ほどの金を合せたものが、私の逮捕当時の手持金ということになる。」旨の供述をするに至り(その変更の理由として、被告人ははじめ山洋工業の名誉を考えて真実を供述しなかったが、山洋工業が被告人を本件について告訴したことを知って真実を告げる気になった旨原審及び当審において供述している。)、以後の捜査段階、原審及び当審を通じて右の変更した供述を大筋において維持している。

(二)  《証拠省略》によれば、山洋工業は、日新製鋼の下請けで、もと難波工業と称していた当時、暴力団関係者長田稔が実権を持っていたが、同人が職業安定法違反事件を起こし、職を追われたが、その後も同人の輩下が三備工業という名で山洋工業の下請け会社を経営しており、山洋工業の業務を妨害することがあったこと、新田一春(昭和四七年六月二五日死亡)は、山洋工業の親会社佐々木工業会長佐々木円三(同四九年八月一六日死亡)の親戚で三備工業対策など労務対策のため山洋工業に入社したものであり、被告人は新田一春の紹介により作業長扱いの待遇で山洋工業に入社したが、新田の前記の任務を助けるためという意味が含まれていたことが認められる。以上の事実関係からすると、佐々木から新田に機密費的な金が渡され、その一部が、新田から被告人に渡されていたということは十分有り得ることと考えられるが、この点に関する被告人の供述は必ずしも明確なものとはいえず、佐々木、新田両名が既に死亡しており、被告人の供述を確かめることができないのみでなく、

(1) 《証拠省略》によれば、佐々木工業、山洋工業の幹部は、佐々木から新田に右のような金が渡されているとは思っておらず、新田は生前かなり金に困っており、山洋工業に対する給料の前借金の合計は、同人死亡当時約五〇万円に達していたことも窺われ、この様な事情に照らせば、佐々木から新田、新田から被告人にと流れたという金の金額が果して被告人のいうように多額なものであったかどうか、また、被告人がそれを使わずに貯めていたものかどうかは甚だ疑問である。

(2) 被告人は、捜査段階(司法警察員((昭和五一年一〇月一四日付、同月三一日付))及び検察官((同月三〇日付、同年一一月二日付))に対する各供述調書)、原審及び当審を通じ右手持金の保管について、「私は、昭和四七年ころ前記の手持金(自動車買入代金三七、八万円をその中から支出した直後であるので、その残額二〇〇万円ぐらい)を靴下用と思われる空箱に入れて、これを自宅の洋服タンス内に他の同様の箱と一緒に入れて、必要に応じて金の出し入れをしていたが、妻には一切知らせていなかった。」旨供述し、被告人の妻A子(現在離婚してB子)は、司法巡査(同年一〇月一四日付、同月二七日付)及び検察官(同月二〇日付)に対する各供述調書の中で、「私は、年に二回程度は右の洋服タンス内の整とん(空紙箱の整理を含めて)をしていたが、現金が置かれているのに気が付かなかった。」旨供述しているが、右のような多額の手持金を妻に話してその保管についての注意をすることもなく洋服タンス内に置いておくというのは誠に不自然なことであり、また、真に洋服タンス内に右の手持金が置かれていたならば、約四年間の長きにわたり妻が右手持金在中の空箱を開けることもなく、右の手持金に気付かなかったというのも、更に不自然なことであると思われる。

(3) 《証拠省略》によれば、被告人は勤務先の山洋工業から昭和四六年四月に二万円を借り受けたのを始めとして、同年中に四回合計二三万円、同四七年中に四回合計一〇万円、同四八年中に七回合計二六万円、同四九年中に五回合計二八万円を借り受け(以上給料前借分は全額返済ずみ、本件当時、以下同じ)、また、被告人の部下である山洋工業作業長田村作夫から同四八年七月、同年一二月に各一〇万円、同四九年一二月に六〇万円、同五〇年三月、同年七月、同五一年二月、同年八月に各三〇万円合計二〇〇万円(内未返済額一三〇万円、なお、被告人は約六〇万円と供述)、同じく山洋工業の作業長後口篤文から同年九月に二回にわたり合計五万円、上司である北川支店長から同年八、九月に三回にわたり合計五万円を借受け、更に、被告人の実父Cから同五〇年一月二〇万円、同年八月三〇万円を借受けているうえ、いわゆるサラリーローンから同四九年九月以来同年中に少なくとも二回合計一一万円(全額返済ずみ)、同五〇年中に九回合計四七万円(内二七万円元本分返済ずみ)、同五一年中に一〇回合計四八万円余り(内約一八万円元本分返済ずみ)を借入れており(なお、原判決認定の月間借入額には、所論の指摘するような誤算が認められる。)、また、同年五月六日呉信用金庫本店から一七〇万円(内未返済額一四二万五、〇〇〇円)を借受けていることが認められる。被告人は、以上のように次から次へと借財を重ねているが、真実被告人が供述するような手持金があったならば、なぜこれから必要な支出をしないで利息を支払わねばならないものを含めた多額の借財(前記借財のうち少なくともサラリーローンからのものと呉信用金庫からのものとは相当の利息を支払わなければならない。)をしたのかの点について被告人は納得できる弁解をしているとはいい難い。なお、被告人は、新田から受取った金の性質について、自由に使えるものだという反面、労務対策のための軍資金の性質もあるとも説明しているが、一方、サラリーローンその他の借財の主な用途は、部下従業員からの依頼で金員を貸与するためであると供述(昭和五一年一〇月二七日付司法警察員に対する供述調書、原審及び当審公判廷)している。しかし、原判決も述べているように、部下従業員に対しその依頼により金員を貸与することは、極めて有効な従業員掌握の方策であって、これを前記手持金から支出するのは労務対策のための軍資金であるとの趣旨にも合致するはずであるのに、なぜ前記の手持金から右の用途に支出しなかったのか、理解するに苦しまざるを得ないのである。

以上述べたことから明らかなように、被告人の右手持金の出所などについての弁解は、不自然、不合理な点が多く、通常人として、これを理解するに著しく困難なものというべきであるが、さりとて被告人が弁解するように多額の現金をタンス預金しており、妻が全く気付かなかったことも不自然ではあるが、有り得ぬこととはいい切れず、また、被告人が、右のような手持金がありながらこれを使用せず、次々と借財を重ねたということも、被告人が後に認定するように実父及び職場関係者以外の外部からの借金については、本件発生まで、ほぼ約定どおりの支払いをつづけており、返済の催促に追われるなど特段経済的破綻に陥っていたとは認められないことを合わせ考えると被告人が弁解するようなことも有り得ないとまでいうことはできず、結局右の弁解は不自然、不合理ではあるが、真偽の程は必ずしも明確とはいえず、少なくともこれをもって被告人のいう手持金が本件の紛失したという給料の一部であって、被告人が右の給料を横領したものと断定するのは、なお躊躇せざるを得ないので、更に進んで被告人が他に右の横領をしたことを窺わしめる適確な情況証拠があるかどうかについて検討することとする。

五(一)  《証拠省略》によれば、被告人は、前記の給料入り手提鞄の紛失状況について呉警察署に盗難被害申告をするまでは若干記憶があいまいであるかのような言動を示したこともあったが、捜査段階においては、本件発生当日被告人は、前記の給料入り手提鞄を持って山洋工業呉支店事務所を出て、前記自動車運転席の足下の内側に置いたまま自宅駐車場に帰ったが、右の鞄のことを忘れており、同日午後九時過ぎころ思い出して探したが発見できなかった旨供述していたところ、起訴後、原審公判廷においては、被告人は前記鞄を事務所から持って出たような気もしないではないが、はっきりしないし、その後、山洋工業事務所横の駐車場で乗車前に前記鞄を地面か自動車の上に置いたような気もするがはっきりせず、結局前記鞄を紛失した時期、場所は不明であると供述するに至り、更に当審公判廷においては、被告人が前記事務所横の駐車場から自動車で出発した際、右手提鞄を遺失した旨供述するに至っている。以上のような供述の変遷は、原判決の述べているように不合理なものであって、もし真実被告人が本件の罪を犯しているものとすれば、これを隠蔽するために供述が変遷しているものとみる余地があるが、被告人が本件の罪を犯していないとすれば、本件事故発生後間もない時期においては、被告人としては、いつものように前記の手提鞄を自宅駐車場まで持って来たと思っていたが、よく考えてみると、いつまで持っていたかはっきりせず、他人からいろいろきかれて記憶が混乱して判らなくなることも十分有り得ることであり、また、被告人は、原審において、呉警察署へ盗難申告をする前に北川支店長と話し合った際、同人から「遺失場所がはっきりしないということで、このまま警察へ行っても困る。日新の下請けの他の会社も調べられて皆に迷惑をかけることになる。」旨言われたので、捜査段階において前記のような供述をしたと述べているが、関係証拠により認められる山洋工業の日新製鋼の下請け会社としての立場などから考えて北川がこれに近い発言をした可能性も十分あると思われる。したがって、前述した捜査段階から原審公判廷に至る供述の変遷をもって被告人が本件の罪を犯したとの推測を導く根拠とすることができるかどうかには疑問が残る(なお、被告人は前記のとおり当審になって、前記手提鞄を前記事務所横の駐車場で遺失したと供述するに至ったが、本件発生後三年半以上も経過した後になって右のような記憶がはっきりしてくるというのは甚だ不自然なことであって、むしろ原審の証拠を検討した結果被告人が右手提鞄を置き忘れ、第三者に持ち去られたとすれば、右の駐車場が最も可能性が高いと考えて右の供述をするに至ったとみるべきものと思われる。)。また、原判決が関係証拠により認定しているように、本件が発生した当夜、被告人は妻に対し、「今までのわしの過去のことを聞かれたりして面白くないので届出たくない。信用がなくなる。」といい、北川支店長に対しても、「これが明るみに出ると会社での立場がなくなる。自分が弁償するからどうにかならないだろうか。」といって、警察への被害届出を渋ったことが認められ、原判示のとおり被告人が本件の犯人であるため、その発覚をおそれて右届出を渋ったものとみる余地もある。しかし、後に認定するように山洋工業の作業主任という地位は被告人が苦労して得た大事な地位であり、関係証拠によれば、被告人には古い恐喝などの前科があることが認められるから、本件が公にされれば、前科が明らかとなり、山洋工業における地位も危くなることをおそれて届出を渋るということも十分考えられるのであって、右の届出を渋ったことも、被告人が本件の罪を犯したと推測を導く根拠とすることには疑問がある。

(二)  前記三の(5)で認定したように、被告人は、本件発生の翌日である昭和五一年九月二八日に北川支店長から午前八時までに出勤するように指示されていたのに、同日午前九時ころ自宅を出たまま無断欠勤し、所在不明となり、同日午後七時過ぎころ漸く呉警察署に出頭したことが認められ、本件のような重大事故を起こした被告人としては早朝出勤して善後策を講ずべきであるのに、あえて無断欠勤して所在をくらました被告人の行動は無責任と非難されるにとどまらず、所在をくらましている間に前記の紛失したという給料を隠匿するなど罪証を隠蔽する工作をしていたのではないかとの疑問を生ぜしめる。しかし、被告人は捜査段階(昭和五一年一〇月一九日付司法警察員に対する供述調書)以来原審及び当審を通じて、「右の無断欠勤をしたのは、本件事故を起こしたため気が顛倒して山洋工業に行く気になれず、夕方までパチンコをしたり、あてもなくぶらぶら歩いたりしていた。」旨供述しており、被告人が本件の罪を犯していないとすれば、本件のような重大な事故を起こした人間の行動として理解できないものでもなく、右の無断欠勤の事実をもって、被告人が本件の罪を犯したと推測する根拠となし難い。

(三)  前記三の(6)で認定したように、被告人は、本件発生後間もない昭和五一年一〇月五日福岡市に、同月八日北九州市に行き、十八銀行東福岡支店、長崎相互銀行博多支店、山口銀行北九州支店にいずれも偽名の山村一郎名義で合計三〇三万円の預金をしていることが認められる。右は甚だ奇怪な行動であるというほかはなく、紛失したという給料の一部を隠匿するための行動と疑われてもやむをえないところである。しかし、被告人は、捜査段階(同年一〇月一三日付司法警察員に対する供述調書)以来原審及び当審を通じて前記の手持金を発見されると紛失した給料であるとの疑いが生じると考えたので、偽名による預金をしたと供述しており、被告人が真実前記の手持金を持っていたという前提にたてば、右の弁解も必ずしも理解できないわけではなく、右の前提を否定するに足りる十分な証拠がない本件では右の行動から直ちに被告人が本件の罪を犯したものと推測することはできない(これに関連して《証拠省略》によれば、同年九月三〇日の城戸巡査の取調べに際し、被告人は、「自分はいつでも手許に置いて出せる金が二〇〇万円くらいあり明日もってくる。」旨述べたが、同巡査から「そういう金があるなら、私がこの目で確認したいから行ってみたい。」といわれ、これを拒否し、そのままになったことが認められるが、警察当局において被告人自身より、本件犯行を立証すべき有力な手がかりが得られる機会を得ながら、直ちに被告人を同道して被告人宅に赴くとか捜索差押許可状を請求して被告人宅を早急に捜索するなどの手を尽しておれば、本件の真相を明らかにするための有力な手がかりが得られた可能性があったと思われるのに、その挙に出なかったことは遺憾である。)。

(四)  また、原判決は、被告人が当時経済的破綻の状況に陥っていたと認定している。なるほど、先に認定した被告人の借財を重ねている状況から考えて、被告人がある程度金に困っていたことは認められるものの、関係証拠によれば、被告人はこれらの借財のうち返済すべきものは返済しており、返済が遅れて問題を起したことはなかったことが認められ、被告人が経済的に破綻していたとまでは認定できない。なお、これに関連して原判決は、被告人の前記借財は競艇の舟券等の購入代金等に費消されたものと推認している。なるほど、関係証拠によれば、被告人は、しばしば競艇場や競輪場に出入し、また、競艇ののみ行為の相手方となったことが認められるものの、記録を精査しても、被告人がこれらのギャンブルにどの程度金を使っていたかは明確でなく、前記借財がこれに費消されたと推認することには疑問が残るのである。

(五)  以上のほか、原判決は被告人の不審な行状としていろいろな事実を認定しているが、これらは被告人が本件の横領をする機会があったということの根拠になる程度に過ぎず、積極的に被告人が本件の犯人であると推認する根拠になるものではない(なお、原判決は、本件当日被告人が自動車を運転して山洋工業事務所から帰宅するに要する時間が通常の場合にくらべると約一二分も長くかかったことを不審な行状の一つとしており、道路工事のため帰宅が遅れたという被告人の供述を措信していない。しかし、当審における事実取調べの結果によれば、本件当日被告人の供述と一致する場合で下水道工事が行なわれていたことが認められるので、被告人の右弁解も一概に排斥できない。)。

以上のとおりであって、被告人が本件の罪を犯したことを疑わせる情況証拠もあるが、それらについてはあながち不合理であるとはいい難い弁解がなされており、結局有力な情況証拠とはなし難い。反って、関係証拠によれば、被告人は、職を転々としたうえ昭和四六年山洋工業に作業長扱いで入社し、以来作業長、総作業長、作業主任と逐次昇進し、本件発生当時は作業課長に昇進する話もあったことが認められ、被告人にとって山洋工業の作業主任という地位は苦労して得た大事な地位であったと考えられるのであって、被告人が職を失う危険を冒してまで本件犯行を計画的にも偶発的にも敢行するだけの動機に乏しいといわなければならない。

六  叙上認定の事実から明らかなように、被告人のいう手持金についての弁解は不自然、不合理なものであって、通常人としてこれを理解するに著しく困難なものであるが、さりとて、被告人の弁解するようなことも全く有り得ないとまでいうことはできず、ほかに被告人が本件の罪を犯したことを窺わしめるかのような情況証拠もあるが、それらについてはあながち不合理であるとはいい難い弁解がなされていて、結局有力な情況証拠とはいえず、記録を精査しても右の認定を左右するに足りる証拠はない。以上の諸点を考慮すると、被告人が本件の罪を犯したとの疑いは極めて強いが、さりとて、右の点について疑いをさし挾む余地のない程度の確信を生ぜしめるような証拠もないというほかはないのである。従って、原判決は、被告人が本件の罪を犯したとの点について合理的な疑いの程度を超える証明がないのに右の事実を認定したものであって、事実を誤認し、右の誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるので破棄を免かれない。論旨は理由がある。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により、原判決を破棄し、訴訟記録及び原審において取り調べた証拠により直ちに判決をすることができるものと認められるから同法四〇〇条但書により、当裁判所において更に自ら次のとおり判決する。

本件公訴事実は、「被告人は呉市昭和通七丁目一番地日新製鋼株式会社呉製鉄所内所在の山洋工業株式会社呉支店の作業主任として現場作業の総括責任者で作業の監督及び現場従業員の給料の支給等の業務に従事しているものであるが、昭和五一年九月二七日、同支店において、翌日早朝に支給すべき夜勤の従業員五七名に対する九月分給料合計六、九二〇、八一六円を預り同会社のため業務上保管中、そのころ同市内において、ほしいままにこれを着服横領したものである。」というのであるが、犯罪の証明がないので刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石橋浩二 裁判官 竹重誠夫 堀内信明)

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